3月末にJRの被災地ツアーで岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼へ行ってきました。
ポケモン号について 一関から気仙沼まで再開通した在来線です。この区間を復興支援のポケモン号が週末を中心に走っています。全2車両のうち、前車両がポケモンシート座席。後車両が改造されてすべてプレイルームになっていて、子どもたちは大はしゃぎでした。車両すべてがポケモンで彩られていて、電車とは思えないほどの楽しい空間が広がっていました。途中停車駅ではスタンプラリーがあって、停車するや否や子どもたちはダッシュ!駅の柵や垣根もポケモンになっていて、もちろん車内アナウンスもピカチューの声。記念の缶バッジなどのグッズももらえて指定席料は子どもで250円。(運賃は距離があるのでそれなりですが)安いです。そのため、席がとれないというのが難点で、私たちも個人ツアーにしたかったのですが、確実なツアーを選びました。約1時間半の在来線があっという間に終着駅に到着し、親も子どもとも開放されて楽しめました。
気仙沼では 気仙沼に到着し、タクシーで魚市場へ行き、そこで案内部の方に被災状況を教えていただきました。移動の間、沿岸部に残っている廃墟の建物はコンクリート造のもので木造は少なかったと思います。1階部分は鉄骨が丸見え状態でした。 翌日、町を歩いてみると、震災で地盤が70㎝程沈下した分のかさあげを行ってました。道路は従来の高さですが、建物があった部分に盛り土している上、道路は亀裂が入ったままの状態のところが多く、高低差とガタガタで歩行が大変でした。歩行者用通路は崩れています。 案内してくださった方の一人は津波で家を丸ごと流されて4回目の抽選で仮設住宅があたり、現在もそこで暮らしていて、「元気に頑張ってます。」と明るく、そして「数年したら復興後の姿があると思うので見に来てください。」とおっしゃってました。 きっと大変な苦労をされていると思うのですが、私たちもそれ以上は心情的に聞けず、頑張ってくださいというメッセージも伝えられなくて、、、自分たちの身の置き所がない状態でした。 TVでよく目にする、港から流されてきた大型船をみました。献花台もありました。港から相当の距離があるのに、こんな大きな船が流されてきてしまう津波の強さを感じました。 平日の復興商店街はそれほど人の気配がなくて、やはりツアーで大勢のお客さんを誘導しないと復興が進まないと感じました。建物がプレハブで店構えもシンプルなので、独自性を出すこともできないし、自前の店舗とは大違いですが、ここは人が温かいです。
陸前高田市では 電車は気仙沼までしか開通してなく、2年を経てようやく陸前高田までバスが運行したそうです。 私たちは友人のご両親(陸前高田市在住)に送迎をしていただいて、街を案内してもらいました。 沿岸部は平地が開けていて、そこをぐっと津波が襲った跡があり、平地のほとんどが跡形もなく住宅が取り壊され、あちこちにそのがれきが集められていました。天気が悪かったのですが、右にも左にも前にも、目に飛び込んでくるのが重機でした。道路を走るトラックの量ももちろん多いです。 「奇跡の一本松」を見ました。この木はとびぬけて、松林の中で背が高かったそうで、長い歴史を経て育ってきた松でそれが唯一残ったようです。松林は砂浜と街の境になっていたようですが、その境界も今では皆無です。奇跡の一本松の存在をメディアで知った「やなせたかしさん(アンパンマン作者)」が詩と絵をつづったものをハンカチにして市に支援として送ったそうです。そのハンカチを頂いたときにみなぎる力を感じたので、私もお土産に買いたいとお土産店に連れて行っていただきました。そこもやはりプレハブでしたが、狭いながらにたくさんの商品がありました。もともと陸前高田市は日本の名百景(白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続くさまがまるで日本画に描かれた風景)に入っていて、すごく魅力がある街だったのが、今の姿は「復興」という2文字になってしまったことをお土産のパッケージからも痛感しました。 駅前商店街にコンクリート造の3階の建てものがありました。その3階の屋上まで津波が上がり、屋上からさらに階段をつたったところに逃げてオーナーさんは助かったそうです。その高さはまさしく見上げるほどです。この建物を見ると、とても逃げきれないし、助かる方が奇跡だと分かります。オーナーさんは、この津波の高さを建物に記録して、人々へのメッセージとして残してくれてます。駅は海岸から徒歩では遠いのではないかなという位置です。「壊滅的」という言葉通りです。
ちょっと長くなりましたので、被災地報告第一弾はここで終わります。 ハンカチはクリニックにも置きたいと思いますのでよかったらご覧ください。
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